「すぐれた教育技術」ってなんだ |
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教師になって5年目くらいのころ。
ふと考えました。
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自分はいくつくらいの技術をもっているのかな・・・
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なぜかというと、向山が本に書いていたからです。
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すぐれた技術・方法を100学べ
(『黒帯六条件』学芸みらい社 p.14)
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「ふつうの」技術じゃないです。
「すぐれた」技術です。
「ふつうの」技術でも、むずかしいでしょ?
100もあります?
私は、ほとんど書き出せませんでした。
さっきの本には、例が出ています。
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1)最後の行動まで示してから子どもを動かせ
2)ラジオ体操の手足の運動の指導
3)バスの運転士は運転している時どこを見ているでしょう
4)トンと踏み切りなさい
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はじめは、こんなふうにバラバラとかたっぱしから集めればいいのです。
向山はこういうのを
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ノートに書いて集めろ
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と言っています。 |
ノートに番号をふる。
題を「私の身に付けた教育技術」とする。
そして
「向山式跳び箱指導法」
「春の授業」
「集中させる方法」
など学ぶ内容のタイトルを書いていく。
学んだところ、先行研究なども書き添えていく。
(『黒帯六条件』学芸みらい社 p.46)
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こうやって100を突破するまで書くのです。
もちろん、書いただけでは意味がありませんね。
頭の中に入っていないと。
書いたら、やってみます。
やってみれば体が覚えます。
その場面や結果も書くといいです。
そうやって何年か努力する。
すると、いろいろと気づきます。
「バラバラっぽかったけど、これは似ているな」
とか。
「これって、あの場面でも使えるな」
とか。
さっきの4つは、全部「すぐれた技術」です。
でも、それぞれ違いますよね。
「カテゴリー」が違うのです。
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1)最後の行動まで示してから子どもを動かせ
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この1)のようなものを私は
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原則的な教育技術
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って呼んでます。
有名なのは向山のこれです。
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授業の原則十か条
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1)はそれとは別です。
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子どもを動かす法則
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です。
原則とか法則とかですから「大きな技術」です。
いろんな場面で応用できる技術です。
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2)ラジオ体操の手足の運動の指導
3)バスの運転士は運転している時どこを見ているでしょう
4)トンと踏み切りなさい
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これに対してこの2)3)4)のようなものは、
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技法的な教育技術
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といいます。
「ラジオ体操第一」ってわかりますよね。
その2番めの運動です。
2)はそこでだけ、使える技術です。
「かかとの上げ下げ」
だけを切り取って教えます。
「イチ・ニイ・サン・シイ」
この「ニ」と「シ」の「一瞬だけ」かかとをつけます。
「ニイ」の「イ」のときにはかかとは上がっています。
それができたら、手をつけさせます。
3)は社会科で「バスの運転士さん」のお仕事を勉強するときにだけ使えます。
4)は体育で跳び箱やマットの「踏み切り」を教えるときにだけ使えます。
でも、この3)4)はこんなふうに言うこともできます。
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発問は五感に訴える言葉で言え
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「どこを見ていますか」は視覚。
「トン」は触覚とか聴覚ですね。
こうすると「原則的な教育技術」としてまとめられます。
この場合は「発問の原則」ですね。
こうして、だんだん「技術」みたいなのが自分の頭の中にたまります。
よく使うものは体にしみついてきます。
自動化されて無意識に出てきます。
構造化され、カテゴライズされていきます。
むずかしくいえば「スキーマ」になるっていいます。
50歳くらいのときです。
「体育について教えてください」
と言われました。
それで私は体育の初歩的な技術をざっと図解しました。
その場でです。
何も見ないでです。
A4にぎっしりです。
大きな項目だけで20くらい。
小さな項目を入れると100くらいでしょうか。
「体育の初歩」だけで100以上を無意識に使いこなしている。
そういう状態が専門職がもつ技術のイメージかな、と思います。
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1 技術を勉強したら怒られる? |
「教育技術」は大事です。
今では、あたりまえですよね。
でも、50年前には大事だと思われてなかったんですよ。
いや、本当です。
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『戦後日本教育方法論史(上)(下)』
(田中耕治 ミネルヴァ書房)
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っていう本があります。
その上巻のp.32に、こう書いてあります。
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「技術主義」批判のもとに軽視されがちであった日常の実践に必要とされる細かな教育技術
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「『技術主義』批判のもとに軽視されがち」
ってところです。
1980年代の半ばごろまでは、
「日常の実践に必要とされる細かな教育技術」
を勉強したら、
「技術主義!」
って怒られるフンイキだったのです。
そんなとき、1984年に向山が出てきます。
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1980年代の中頃に東京の小学校教師向山洋一が
「跳び箱はだれでも眺ばせられる」
というスローガンをもって登場し、
「教育技術の法則化運動」を展開した。
(田中耕治 ミネルヴァ書房p.31-32 改行は谷)
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向山は、跳び箱を跳ばせる技術を公開しました。
その技術でやると95.7%の成功率になりました。
(『跳び箱は誰でも跳ばせられる』p.3)
95.7%ってとんでもない成功率です。
自然科学の実験じゃないんですよ。
社会科学系の教育技術じゃ、ありえない数字です。
実際、私もやってみました。
クラス全員、その場ですぐに跳べました。
めちゃ簡単。
超、効果がある。
マレにみる、スゴイ技術です。
向山は書きました。
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跳び箱を全員跳ばせられることが教師の常識にならなかったのはなぜか。
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これって簡単な技術じゃないかと。
こんな簡単なことなのに、なんでみんな知らないんだ。
おかしいだろ。
って向山は思ったわけです。
当時、次のような問題がありました。
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1 大学の教育研究の観念性
2 民間研における授業づくりの弱さ
3 「ワンウェイ」型の組織論
(田中耕治 ミネルヴァ書房p.32 谷が要約)
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「1 大学の教育研究の観念性」
教育学部では理論ばっかり教えてました。
でも、教室で全然役に立たない!
「2 民間研における授業づくりの弱さ」
いろんな教育研究団体がありました。
いろんな授業記録が発表されていました。
でも、やってみたらそのとおりにならない!
「3 「ワンウェイ」型の組織論」
大学教授とか、文部省の人とか、教育委員会とか。
そういう「えらい人」だけが雑誌に書く。
本を出す。
でも、難しくてわからない!
まあ、そういうことです。
向山はそれをひっくりかえす提案をしたのです。
若い数師たちによびかけました。
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えらい人たちはもういい。
若いオレたちでやっちまおう。
細かな教育技術を、集めるぞ!
やりたいヤツ、この指とまれ!
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ってやったわけです。
証拠資料(向山の手書き)をいくつかのせておきますね。
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