私の師匠は向山洋一です。
ですから
「師の模倣」
をしてきました。
当然です。
模倣するのは授業の「発問・指示」だけではありません。
表情、目線、リズム・テンポ、声の高低などはもちろん、
手指のしぐさ、足の運びなど
全部、模倣しようとするのです。
授業だけではありません。
講演で話すときのしぐさ、
ちょっとした顔の上げ方、
手の平と指先を聴衆に向ける形、
全部、模倣しようとするのです。
講演だけではありません。
飲み会での注文の仕方、
乾杯のタイミング、
食事を行き渡らせる目配り、
話すときに机を手でたたくしぐさ、
全部です。
向山の模倣は非常に難しい。
そもそも体も声帯のつくりも違います。
所作は非常に独特です。
洗練されています。
弟子たちはうまく模倣したつもりです。
しかし、私を含めて、
「似ているなー」
と思える人はほとんどいません。
誰かに少しでも
「向山先生っぽい」とか
「向山先生みたいだね」とか
言われると、ものすごく嬉しいわけです。
そういう私を、
私のクラスの子どもたちは模倣しました。
誰かが授業中に
「待ってください」
というと、
向山の口調で私は
「待ちません」
と言います。
やがて、子どもたちは私が言う前に先回りして言います。
「待ちません!」
私と同じ口調です。
子どもたちの前に立って何かを指示するときの
「足を立てて“かかと“を地面につける所作」
これも子どもたちはマネしていました。
もとは向山の所作です。
こうして、向山が「孫模倣」されていくわけです。
最近では、
「あの先生の授業は谷先生に似ている」
などと言われる若手が登場してきたようです。
私が見ても、
「少し似てるかもしれない」
と思います。
ここでも、向山が「孫模倣」されていくわけです。
何の意味があるんだって?
【谷和樹の教育新宝島】vol.62 Part1で紹介した
『模倣の社会学』
などにも解説されていますので、ぜひそちらを。
面白い本です。
向山を丸ごと模倣したつもりです。
でも、もちろん完全模倣はできません。
どんなに模倣しても、もとの自分の味や個性が残ります。
それが、
「いい感じで残る」
のが、一流の「伝承」です。
落語家や漫才師も師匠の模倣をしますが、
それでもすごく個性的になるのと同じです。
世代を超えて模倣していけば、
やがて似ているかどうかさえ分からなくなる。
それでも、何らかの
「カタチ」
「カタ」
「精神」
といったものがそこに受け継がれるのだと思います。
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