「日常」と「非日常」の往還 |
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逃避したい──!!
って思うことありますか?
私はしょっちゅうあります。
この原稿を書きながら、今日だけで4回以上、逃避しました。
コーヒーを入れるんだからしかたがない。
のどがかわいた。
おなかもすいた。
そういえばあっちの棚に参考になる本があった気が・・・
などど言い訳して、机を離れ、しばしウロウロします。
少したってある程度満たされると、あきらめてまた机に戻ります。
原稿を書くという「日常」から、別の刺激がほしいという「非日常」へちょっぴり逃避し、また「日常」とへ戻るわけです。
これは、「物語」の基本構造でもあります。
(大塚英志『ストーリーメーカー』星海社 2013)
無性に映画を見たくなったり、小説を読みたくなったりすることもありますよね。それも同じです。
人は時々「非日常」へ行って、自分の中で失われていた何かを取り戻し、また「日常」へ戻ってがんばろうって思うのでしょう。
昨年5月、コロナ以降、久しぶりに海外視察をすることができました。
アメリカのシアトルです。
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(University of Washington構内にて 撮影:小嶋悠紀氏 2023.5.5)
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学校を視察するわけですからもちろん遊びではありません。
でも、大型連休期間を利用して日本の日常の勤務を離れ、制度の全く違った学校を視察し、周辺を逍遥して食事や文化に触れるのは、やはり「非日常」です。
たっぷり充電して戻ることができました。
このように「非日常」へ往って還る機会が時々あってこそ、また元気に「日常」を歩んでいこうって人は思うのかも知れません。
「非日常」といえば、かつて私のクラスでは「パーティ」をやることがありました。
いわゆる「お楽しみ会」というのでしょうか。
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上の写真はそうしたパーティで「漫才」の出し物をしているところです。
さて、当時の私のクラスのお楽しみ会には、ある特徴がありました。
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写真を見て下さい。
「ジュースで乾杯」していますね。
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この写真にいたってはジュースどころではありません。
机の上にやたらとお菓子、クッキー、ケーキ、ゼリーなどが並んでいます。
そうです。
「飲み放題、食い放題」のパーティだったのです。
こんなことをやっていいのでしょうか。
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1 向山学級のパーティはこんな感じ |
こうした学級パーティの着想は、向山の著書から学びました。
向山の学級パーティの実践は複数あります。
そのすべてで「飲み食い」しています。
証拠をあげましょう。
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鳥肉やサラダにケーキにおかし、みかんにりんご。たくさんたくさん食べ物が集まった。もう、うれしくてたまらない。先生が「食べていい」と言うとみんな食べくい競争のように食べ物にとびかかった。
(山浦君の日記:1977年調布大塚小5年竹山くん送別会、学級新聞100号記念パーティ)
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転任した学校で昨年、私たちの学年は、夏休みの一日、体育館で「お菓子の部屋」を実現させた。親が一品ずつ持ち寄った料理は、すごかった。和風、洋風、中華風、何でもあるのだ。そして、これが一番大切なのだが、好きなものを好きなだけ食べていいのである。
(『向山学級騒動記』1983年 明治図書p.27)
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全員泳げたら大パーティをやろうということになっていた。(中略)
4)持ち込み料理・・・自由(一人一品程度)(中略)
5)グループなどで料理をつくること・・・自由
6)忙しいからミカンなどにすること・・・自由
7)誰がどのくらい持ってきたかという記録・・・やらない
(『2年の学級経営 大きな手と小さな手をつないで』1985年 明治図書 p.95)
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いろいろなお母さん方のさし入れを食べられてしあわせだ。アイスクリームもおいしかったし、くしざしのもおいしかった。あとおかしやいろいろなものを食べた。ほんとにしあわせだ。よしむら君のうちのおそばもおいしかった。ジュースは、もう飲めないくらいはらいっぱいになった。
(小林君の作文:1982年「逆上がり、野本さん、北村君さよなら、永井さんかんげい」パーティ)
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写真もあります。
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(「1977年調布大塚小5年 竹山くん送別会、学級新聞100号記念パーティ」)
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もちろん時代的な背景があります。
今の令和の教室で「飲み放題、食い放題」のパーティをやることは、やはり許されないでしょう。
(でも本当は許されて欲しいです。
度量の大きな校長先生が日本のどこかにいらっしゃることを切望しています)
「飲み放題、食い放題」は許されないとしても、基本的な原理は同じです。
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非日常の世界へ行く
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これです。
したがって飲み食いができなくてもかまいません。
ある条件を満たせばいいのです。
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2 非日常を体感するパーティが子どもたちを育てる |
条件は次のとおりです。
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条件1 「目的」が明確であること
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当然ですが、ある日突然、気がむいたからパーティをする、というわけにはいきません。
それなりの「大義名分」がいるのです。
一番いいのは、「全員が何かを達成した」ということです。
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1)全員が漢字テストで100点をとった。
2)全員が25mを泳げた。
3)全員がさか上がりをできるようになった。
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みんなが日夜努力した結果、こうした「ただごとではない」成果があった。
だからこそ「ただごとではない祝福」が必要だ。
よしパーティをやろう!
となるのです。
定期的なお楽しみ会ではないからこそ「非日常」なのです。
もちろんこれに「クリスマス」とか「お別れ会」とかがセットになるのはOKです。
パーティをやろうという提案は、教師から投げかけてかまいません。
子どもたちが何かに一生懸命取り組んでいる渦中、タイミングを見はからって、一生懸命やっていることをほめ、そうだ、もし全員できたらパーティをやろうか?と切り出すのです。
もちろん、条件はつけます。
「◯◯君が達成できないのでパーティができない」
といった責めるような発言をするものが一人でもいたら、もう絶対にパーティはやらない、といった条件を同時に示すことが大切です。
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条件2 「とびきり」楽しいこと
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「とびきり」というのは「非常識なくらい」ということです。常識的な楽しさではパーティになりません。
たとえ飲み食いがダメでも次のようなことなら実現可能だと私は思います。
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1)1日中、朝から帰りまでパーティ
2)ステージをつくってカラオケ大会
3)学校中を巻き込んだ「チャレラン」大会
4)教室と特別教室と体育館と運動場と職員室、校長室を巻き込み、放送室をつないでの全校実況中継
5)その他
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向山も次のように書いています。
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『全員がさか上がりができる』というのはただごとではない。ただごとではないから即パーティをやろうということになった。(ここらへんの理論、しっかりしているなあ)
ただごとでない事件のパーティなのだから、パーティのほうも『ただごとでないパーティをやろう」ということになってきた。
(『アチャラ』No.82 1982.10.20)
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条件3 子どもたちに「原案」をつくらせ検討させること
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これが大切です。
向山は子どもたちに「パーティ原案」を提出させています。
原案というのは例えば次のようなものです。
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